2016年2月11日木曜日

JPO/AE試験に合格しても国連のポストがすぐに決まるわけではない

会社を辞めてから海外の仕事が決まるまで、しばらく東京で翻訳編集の仕事をした。次の仕事のあてがあるつもりで11年務めた会社を辞めたのに、新しい仕事はなかなか決まらなかった。仕方がないので新聞の求人広告に応募した。英文の外電を読んで和文の要約を作る仕事だった。この仕事は限られた時間内に情報を発信するところがポイントで、体力と気力の勝負だった。若い「兵隊」たちの原稿に「デスク」と呼ばれるベテランたちが赤字を入れて企業向けの情報商品となる。英文科出身の同僚たちが涼しい顔でこなしているのを見てあせった。やがて彼らが和文原稿が埋まるだけのパラグラフを狙い打ちで選択し、要領よくまとめていることに気がついた。

要領の良いやり方というのは大事な部分を外すリスクがつきまとうので良し悪しだ。テレックスから流れてきた小さな文字の外電は時には数ページもある。これを全部読んで、理解して、さらに日本語に置き換えていたら大作業だ。この仕事をタイムリーにこなすためには関連の記事をふだんから追いかけておくことが大切だと理解した。ある日そのテーマに関して新展開があった時にその部分だけに集中して分析すれば良いわけだ。そのため6時間のシフトが明けた後で、机に残って流れてくる外電を読んでいる同僚も多かった。気まじめな若い人がいて回りから煙たがれていた。他の人の書いた記事を原文と比べて面白い部分が訳されていないことにクレームをつけていたからだ。ごもっともな指摘だったがそれはデスクの責任だ。

早番の時は朝5時半までに出社して仕事の段取りを整えるため、ハイヤーで出勤だった。ジャーナリストの卵になったみたいな気がした。夜勤もあったが、それ以外は一日6時間勤務で時間はかなり自由だった。シフト勤務を終えた者から順番に地下の食堂に集まって、午後2時くらいから酒を飲んだ。親会社から出向してきているベテラン記者たちの現役時代の武勇伝が面白かったので、連日つき合った。3か月で胃炎を起こした。シフト勤務で毎日の勤務時間が違うのが身体にこたえたようだ。ちょうどその頃になってあてにしていたウィーンの仕事が決まった。短かかったが懐かしい記憶だ。



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