2016年2月11日木曜日

厳冬のウィーンに着任した 1991年1月

1991年の始めから2年間ウィーンに住んだ。この街にはまるで中世にタイムスリップしたような道や建物がいたるところにある。大聖堂の屋根には黄色い双頭の鷲の装飾。妻は石畳のでこぼこ道に、ハイヒールのかかとをとられそうになりながら歩いていた。中心部の道は放射状で、まっすぐ進んでいるつもりだったのに、頭のコンパスが狂ったようなところにたどり着く。あたりの景色が似通っているため、迷路に迷い込んだように感じる。

冬の零下10度を下回る寒さの中で迷子になると、つま先の感覚がなくなる。カフェを探して熱いメランジェを頼んだ。この国のカフェは一杯のコーヒーと水で何時間でも居られる雰囲気がある。年老いた常連さんたちは、店においてある様々な新聞を読んでいる。

ハプスブルグ家のかつての栄光をしのばせる美術館の充実もすごいが、やはりウィーンは音楽の都である。市内のいたるところにある公園にはモーツアルト、シューベルト、ベートーベンなど音楽家の彫像が並んでいる。オペラ座では有名な歌手を迎えて人気のオペラが上映され、楽友協会のメンバーになるには地元市民でも、20年待ちと聞いた。

オペラ座の中に入ると、そこは別世界。幕間になると真っ赤なじゅうたんを敷き詰めた階段を様々な色彩の華やかなドレスの女性たちがゆっくりと下りてくる。スーツの男性が寄りそって、バーでシャンパンやワインを楽しむ。彼らに混じって階段を下りる。階段脇の踊り場には黒い礼服を着たアッシャーのおじさんたちがいる。オペラ座周辺のガラス張りのケースの中に張り出してある、当日演目のポスターを売ってくれた。くるくる巻いて、輪ゴムでとめてあるのを、10シリング札を出して受け取る。おしゃれをして出かけて、片言のこの国の言葉で、ポスターを買う。日頃のこの街への不満もどこかに忘れてしまう特別な時間だった。10数枚のポスターはこの国の良い思い出だ。

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