2016年2月11日木曜日

EBRD電力チーム時代 グルジアのイングリ・ダム改修

グルジアには世界第二のアーチ式ダムがある。ダムの高さは271m。この国の発電の4割をまかなう重要な電源だ。2013年の夏にEBRDのファイナンスによるリハビリ工事が竣工した。F/Sを含めると16年がかりの案件だった。これほど時間がかかったのは紛争を抱えるアブハジアとグルジアの境界に位置していたためだ。1997年から1999年春にタシケントに移るまでの期間は、EBRD電力チームのオペレーションの責任者だった。フィージビリティ・スタディ準備のための技術支援プロジェクトと、1997年9月のEBRD評価ミッションをまかされていた。1994年12月にトビリシの送配電整備にいち早く融資を実行したことで、グルジア政府はEBRDへの親近感を強くしていた。機動性を見込まれてこの国の基幹電源であるイングリ・ダムの改修を依頼された。

グルジアの電力事業民営化の議論を世界銀行の主導で行っている時期だったので、政治的にはかなり微妙な案件だった。当時のボスがまだ若手のわたしを起用したのは、新しく移籍してきた豪人のシニア・エンジニア、米人のベテラン・エコノミスト、F/S担当コンサル・チームの管理をまだ若いわたしに任せることで、自分の影響力を確保したかったからだろう。コンサル・チームとのやりとりを重ねながら現地側と折衝した。

開発関係機関の間では足並みをそろえるのが原則だ。業界最大手の世銀からは厳しい質問が飛んできた。「グルジアの電力セクターの正しい発展のためのLeast Cost Sector Development Study はできているのか?」「電力事業発展の青写真と本件プロジェクトの整合性はあるのか?」「発電部門への支援は送配電部門の整備とどうリンクしているのか?」。これらは開発金融の世界ではかならずクリアしなければならないスタンダードな論点だ。一方で優良プロジェクトは迅速に推進する必要がある。「電力事業の持続的な発展についての諸問題については検討中であるが、緊急を要するリハビリ案件について先送りは許されない」というEBRDの主張が結局認められた。

シュワルナゼ大統領にもご挨拶するなど、政府側の期待は大きかった。これに応えるべくチームもプロジェクトの準備に全力を尽くした。1999年の3月に融資のプロポーザルをまとめ、EBRDの最終審査委員会に行くその朝、グルジア軍とアブハジア軍の衝突の報せが入った。イングリ・ダム改修プロジェクトは政情が安定化するまで様子見となった。その翌月にタシケントに赴任した。その後グルジアの政情が安定に向かい、国際社会の支援の体制が整うまでには長い時間がかかった。


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