2016年2月11日木曜日

キルギスも国際金融危機の影響を受けた

2007年11月にビシュケクに赴任した翌年の秋にリーマン・ショックに端を発して世界金融危機が始まった。キルギスにも深刻な影響が及んだ。キルギスの過半数をしめていたカザク系列銀行の親銀行が資金を引き上げ、ロシア、カザクからのキルギス出稼ぎ労働者の送金が大幅減となり、農産加工品や建材の輸出が伸び悩んだ。キルギスにとっては電力危機が同時に到来したことが大きな試練となった。

需要の9割を水力発電に頼ってきたこの国では、長い間、電気は天の恵みだった。近年の降雪量が減り、山の貯水池の水位が下がっていた。産ガス国であるお隣のウズベキスタンにとっては輸出するガス価格を適正水準に引き上げるのは長年の懸案だった。キルギスは対抗策として冬場の発電に備えて貯水池からの放水を抑えるため8月後半から計画停電に踏み切った。これは下流国の農業に影響を与えるので深刻な事態となる。キルギス市民の生活にも大きな影響が出た。水とエネルギーの地域運用は中央アジア全体にとっての大きな課題であることが再認識された。

キルギス人作家として旧ソ連で名高いチンギス・アイトマトフ氏が2008年6月に逝去された。ロンドンの書店で「ジャミラ」という本の英訳を見つけたばかりだったので不思議な気がした。同氏はキルギス大使としても欧州各国で活躍した人だ。国民葬では一目お別れをという人々で大変な混雑でした。わたしもお別れをする行列に並んだ。

ビシュケクの楽しみは美しい自然に囲まれていること。街の外れに9ホールのゴルフ場があり、週末にボールを追いながら秋の景色を楽しんだ。クムトー鉱山の仕事でキルギスにやってきたカナダ人のオーナーが退職後にオープンしたものだ。雪をかぶった天山の峰々と青い空が圧倒的で、芝の状態が今一つなことも、その日のスコアも、気になっていた仕事もどうでもよくなる。

2008年12月の始めに日当たりの良い家に引越すと、アラ・アルチャの山々が近くなった。娯楽の少ない途上国の暮らしでは家でDVDを見るのが楽しみ。10年分の「フレンズ」や最近の「ロスト」が妻のお気に入り。日本のドラマでは「ビーチボーイズ」、「ロングバケーション」、向田邦子シリーズなどが印象に残る。細々とロシア語の努力も続けた。5月に乗り換えのモスクワ空港で見つけたチェーホフの「子犬を連れた奥さん」や、ブーニンの「暗い並木道」のCDを教材として聴いた。ウズベキスタン、マケドニア、キルギスと我が家の番犬としてもう7年頑張っている兄弟犬のチビ太とマッツが雪の庭を駆け回っていた。

年が明けて2009年になると、金融危機の余波への対応で仕事に追われるようになった。モニタリングの強化。取引のある地元銀行への支援強化。キルギス政府支援策として、世銀、EU、スイス政府などと協調して南部基幹道路、首都ビシュケクの上水道事業に融資。先行き不透明な不動産開発への融資を手控える一方、改修工事の必要資金が膨らんだ板ガラス事業などに対して迅速な追加支援。ノンバンクのマイクロ金融機関に対して現地通貨建ての融資を導入。キルギスでは通常年の約6倍にあたる100億円近い融資額となった。このような危機対応の業務を通じて、市場経済移行の専門機関として発足したEBRDの将来の方向性が見直され、その後の活動対象地域拡大につながって行くことになる。

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