2016年2月11日木曜日

コソヴォでの仕事 マイクロファイナンス銀行の取締役と案件の発掘

マケドニアの首都スコピエに駐在していたのはコソヴォが2008年2月17日に独立を宣言する前の2014年から3年間だ。スコピエからこそヴぉの首都プリシュチナまでは国境で時間を取られなければ2時間ほどで行ける。EBRDはまだコソヴォを独立した国としては承認していなかったが、一室だけのプリシュチナ事務所があった。マケドニア所長だったわたしはコソヴォについても責任者だったので、毎月山を越えてコソヴォに通った。当時のパスポートにはUNMIK (国連コソヴォミッション)のスタンプがたくさん押されている。

2004年に赴任して担当したのはEBRDが出資しているProCredit銀行とライファイゼン銀行の活動状況をモニターすること、コソヴォの中央銀行にあたるKBAとの打ち合わせ、さらにはEBRDが2005年くらいから力を入れ始めていた西バルカン地元企業支援ファシリティ(LEF)を通じて、新たに可能となった小規模の地場企業への直接支援案件を進めていくことだった。EU、UNMIKの他にも主だった大使館にも顔を出して何か新しい情報があればロンドンの本部に報告するのも現場の仕事です。コソヴォ側のオピニオン・リーダーと目される人たちに会って話を聞いた。それで知り合ったのがシャーラさんだった。学者肌ながらとても話が上手な人で印象に残った。コソヴォが独立するとすぐに財務大臣となり、その後東京で駐日大使として活躍された。

いくつかのEBRD案件の記者発表が記憶にある。2007年5月のコソヴォへの投資拡大をテーマとした会議の時にマイクを向けられたのでEBRDの活動状況について説明した。翌日職場のメールを開けるとSEENEWS発という記事がロンドンの本部に一面扱いで回付されていて一瞬ヒヤリとした。失言をして事実関係に誤りがあれば問題になる。過度に踏み込んだ発言とみなされれば当時はセルビア側からクレームの可能性もあった。現場の所長のところにはいろいろなインタビューの依頼が来る。慎重な対応に気を使う。こうしたことも本部に戻ってきた今では懐かしい。

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