2016年2月11日木曜日

EBRD電力チーム時代 大理石の壁と床

1989年11月9日に東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が市民の手によって壊された。脱サラ・日本脱出を目指してアソシエート・エキスパートの試験にトライしていた頃だ。1990年6月にそれまで勤めていた会社を退職し、1991年1月にウィーンのUNIDOで働くため日本を離れた。その年の4月に東西冷戦終結後の旧ソ連圏の地域を支援するための新しい国際金融機関がロンドンに設立された。1993年の1月からこの職場にお世話になっている。

1989年のベルリンの壁のかけらは持っていないが、今の職場の大理石の床のかけらが手元にある。この実験的な新国際機関が発足してちょうど3年過ぎた頃だ。この組織の運営をめぐる様々な思惑も絡んで1993年4月から7月にかけてマスコミによる猛烈なバッシングの嵐だった。3か月にわたり連日のようにFTとそれをフォローする世界各国の新聞で職場を批判する記事が出た。どうなるのだろうかという不安の一方で、ほとんど世の中に知られていなかった組織の知名度が上がるのが嬉しいような複雑な気持ちだった。やがて初代総裁の辞任でこの騒動に幕が引かれ、夏の終わりにIMFの専務理事をつとめたジャック・デラロジエ総裁が就任した。

それから徹底的な機構改革が始まり、緊縮予算が組まれた。その年の暮れにさらなる予算削減のためにオフィス・スペースの一部を又貸しすることになり、建物の外側の出入り口だけでなく、内部にも「壁」を作る必要が生じた。年末の土曜日の朝に職場で仕事をしていると、ちょうどその工事をしていた。低いガラスの壁を設置する部分だけ大理石の床を壊していた。お昼時になり、妻と職場で待ち合わせて帰る時だった。妻が工事をしている人たちに「その壊した石どうするの?」と訊ねた。「ごみだから捨てるだけさ」と言うので、10センチ四方くらいのかけらをもらって帰った。それからしばらくして妻からプレゼントをもらった。ロンドンの石材店で磨いてもらい、職場の名前と1994の刻印の入った大理石のプレートだ。思い出深い「石のかけら」だ。


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