中央アジアのタシケントの青空市場で買った犬のちび太とマッツが3歳になり、体重が10キロを超えた頃、マケドニアの首都スコピエに引っ越した。山の麓の緑の多いところに家を借りた。庭の桜の木がとても気に入ったが、左隣の家のチワワが垣根越しに甲高い声で吠えるので困った。鉄のフェンスと生垣があるので行き来はできないが、ちび太とマッツもの負けじと吠え返す。
向いの家には老夫婦が住んでいた。家の前庭は荒れるにまかせ、鉄のフェンスのペンキは剥げ落ちていた。時々娘らしい夫婦が孫を連れて訪ねて来た。ミーシャ爺さんは引っ越してきた当初、「犬たちがうるさくって眠れない」と文句を言った。彼の動物嫌いは近所でも有名で、毒をあちこちにばら撒いているという噂だった。ある日、地元のテレビでEBRDがマケドニアを支援しているニュースが流れた。「お宅の旦那が映っていたよ」と言って、垣根越しに妻に笑いかけてくれるようになった。庭に咲いた花をくれるようになった。
ミーシャ爺さんは太り過ぎで心臓とひざが悪いのだと言った。杖を突いて、ハアハア息をしながら、手提げ籠をもって近所の店に買い物に出かけた。ビールが大好きでやめられないと言っていた。少しだけ会話が通ずるようになると、手に提げたかばんを開けて、白い心臓の薬を妻に見せてくれた。「ダイエットしないといけないんだ」と言った。「いつかフロリダにハンティングに行くのが夢だな」と言った。「今日の午後F1がテレビであるから、ご主人に教えてあげなさい」と言う。妻が何のことがわからずに、きょとんと聞いていると、両手で車のハンドルを握る真似をした。「ああ、あのF1ね」と妻は納得した。イメージがなかなか結びつかなかった。
ある日ミーシャ爺さんは庭先の作業場で木のベッドを造り始めた。背骨にも問題があり、平らなベッドで寝るのが苦痛らしい。時々わたしの妻を庭に招き入れ、進捗状況を見せてくれた。その脇にはワンピースにカーディガンを羽織った奥さんが座って微笑んでいた。「見てごらんよ。なかなかの出来だろう」と得意そうだった。「買ったほうが早いけれど、年金暮らしじゃ無理だしな」と言うと黙々と仕事を続けていた。体にあった角度に材木を削り、つなぎ合わせて作る。半分は出来ていた。緩やかなカーブが見事だった。
夏の暑い日に、入院中だったミーシャの奥さんが亡くなった。病院から帰ってきた彼は、汗染みのできたシャツを着て、ひざまでの半ズボンをはいていた。「体中に水がたまって可哀想だったなあ」と、眼鏡の奥で目に涙をためていた。太った肩を落として家の中に消えた。
何日かして、ミーシャ爺さんが庭先に出ていた。「家の中にかみさんの幽霊がいるんだ」と言う。「隣の部屋の扉を開けるのが怖いんだ」とわたしの妻に真剣な目で言ったそうだ。マケドニアでは死者の霊が40日間ほどこの世を彷徨うらしい。若い頃は浴びるほど酒を飲み、元気だったと自慢していたミーシャ爺さんも、妻の幽霊は怖かったようだ。それから3ヶ月もしないうちに奥さんの後を追うように亡くなった。
しばらくして、体格も顔もミーシャ爺さんにそっくりな娘さんの一家が引っ越してきた。10代の男の子もそっくりで、お爺さんをそのまま若くしたようだった。庭はこぎれいになり、フェンスは真っ赤に塗り替えられた。赤いスポーツカーがガレージに納まった。
向いの家には老夫婦が住んでいた。家の前庭は荒れるにまかせ、鉄のフェンスのペンキは剥げ落ちていた。時々娘らしい夫婦が孫を連れて訪ねて来た。ミーシャ爺さんは引っ越してきた当初、「犬たちがうるさくって眠れない」と文句を言った。彼の動物嫌いは近所でも有名で、毒をあちこちにばら撒いているという噂だった。ある日、地元のテレビでEBRDがマケドニアを支援しているニュースが流れた。「お宅の旦那が映っていたよ」と言って、垣根越しに妻に笑いかけてくれるようになった。庭に咲いた花をくれるようになった。
ミーシャ爺さんは太り過ぎで心臓とひざが悪いのだと言った。杖を突いて、ハアハア息をしながら、手提げ籠をもって近所の店に買い物に出かけた。ビールが大好きでやめられないと言っていた。少しだけ会話が通ずるようになると、手に提げたかばんを開けて、白い心臓の薬を妻に見せてくれた。「ダイエットしないといけないんだ」と言った。「いつかフロリダにハンティングに行くのが夢だな」と言った。「今日の午後F1がテレビであるから、ご主人に教えてあげなさい」と言う。妻が何のことがわからずに、きょとんと聞いていると、両手で車のハンドルを握る真似をした。「ああ、あのF1ね」と妻は納得した。イメージがなかなか結びつかなかった。
ある日ミーシャ爺さんは庭先の作業場で木のベッドを造り始めた。背骨にも問題があり、平らなベッドで寝るのが苦痛らしい。時々わたしの妻を庭に招き入れ、進捗状況を見せてくれた。その脇にはワンピースにカーディガンを羽織った奥さんが座って微笑んでいた。「見てごらんよ。なかなかの出来だろう」と得意そうだった。「買ったほうが早いけれど、年金暮らしじゃ無理だしな」と言うと黙々と仕事を続けていた。体にあった角度に材木を削り、つなぎ合わせて作る。半分は出来ていた。緩やかなカーブが見事だった。
夏の暑い日に、入院中だったミーシャの奥さんが亡くなった。病院から帰ってきた彼は、汗染みのできたシャツを着て、ひざまでの半ズボンをはいていた。「体中に水がたまって可哀想だったなあ」と、眼鏡の奥で目に涙をためていた。太った肩を落として家の中に消えた。
何日かして、ミーシャ爺さんが庭先に出ていた。「家の中にかみさんの幽霊がいるんだ」と言う。「隣の部屋の扉を開けるのが怖いんだ」とわたしの妻に真剣な目で言ったそうだ。マケドニアでは死者の霊が40日間ほどこの世を彷徨うらしい。若い頃は浴びるほど酒を飲み、元気だったと自慢していたミーシャ爺さんも、妻の幽霊は怖かったようだ。それから3ヶ月もしないうちに奥さんの後を追うように亡くなった。
しばらくして、体格も顔もミーシャ爺さんにそっくりな娘さんの一家が引っ越してきた。10代の男の子もそっくりで、お爺さんをそのまま若くしたようだった。庭はこぎれいになり、フェンスは真っ赤に塗り替えられた。赤いスポーツカーがガレージに納まった。
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