2016年6月16日木曜日

西シベリアの油田の町 空港近くの民家で待機した 

西シベリアに石油ガス田リハビリ・プロジェクトの現場があったので、1994年から3年くらい半年に一度くらいのペースで出張する機会があった。その後コーカサス・中央アジアの仕事が忙しくなりロシア・チームに仕事を引き継ぐまでこのプロジェクト・チームの責任者だった。ロンドンからモスクワ経由でノイヤビルスクという空港まで深夜便で飛び、それからグブキンスキーという街まで3時間ほどの朝方のドライブでようやく現場にたどり着いた。
 
このプロジェクトのモニタリングを任されるようになって最初の出張だった。ロンドンからの出発前も仕事を終えての帰り間際もハプニングの連続だった。当時は駆け出しの開発バンカーで本人も頼りなかったのだろうが、本部で2-3人のバンカーのサポートをする秘書がテンプ・スタッフでこちらも頼りにならなくて苦労した。出発の2日前にフライトの切符がノイヤビルスク(11月の街)ではなく、ノボシビルスク(新しい街)になっていることに気がついた時は冷や汗だった。
 
帰りの飛行機が天候不良でキャンセルされて次のフライトを待つまでグブキンスキーの空港近くに2日ほど待機することになった。フランス人の石油掘削のエンジニアや技術支援担当のオランダ人のカウンターパートたちと空港の近所の民家をめぐって、飛行機の出発まで休ませてもらえる部屋はないかと訊ねて歩いた。住民の人たちが親切だったのか、米ドルの威力なのか同行の6人くらいが横になれる宿はすぐ見つかった。それから近所のスーパーに食料の買い出しに行った。パンとチーズと魚の缶詰めビールを調達して酒盛りをしながら話が弾んだ。懐かしい思い出だ。







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