2020年9月3日木曜日

機構改革の嵐 ピンチはチャンス!

 1993年の初めに独立後の旧ソ連諸国を支援する組織に入りました。今では高い評価が定着した国際機関ですが、当時は活動対象国と同じくらいの混乱期。1993年夏のトップ交代の後で、秋に大機構改革が実施され職場は大揺れとなりました。わたしが所属していたインフラ部門エネルギーチームも改編。何故かしばらくはAとBの2チームの設立へ。当時の雰囲気からすると人選が絞り切れなかったので妥協案として2つで発足したけれども、競わせたうえで弱いチームが淘汰されるのは明らかでした。各チームとも必死で総動員体制となりました。主力のシニアたちをより進んだ先進地域に割り当てると、まだビジネス環境の厳しいコーカサスが当時はまだ若手だったわたしのところに回ってきました。これは神風でした。中規模以上の案件のプロジェクトリーダーになるというチャンスはめったにないからです。アゼルバイジャンの案件を調印に持込み、グルジアの案件でもサブリーダーを務めました。この2国で継続案件までまとめると、強面のエンジニアたちをまとめる調整手腕が認められて中央アジアもまかされるようになりました。1997年の2月に新たにキルギスの案件を引き継ぐために現地に入りました。長いドライブの休憩で停車した時の1枚です。



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