もう1枚忘れがたい写真があります。撮影は1994年2月。この年の夏から秋にかけてYenikendという水力発電所のリハビリと未完成ダムのプロジェクトで忙しく過ごしていました。この第1号案件は無事に12月に調印の運びとなりました。事件が起きたのは翌年3月でした。第2号案件の準備作業に着手するために豪州のコンサルチームと一緒にバクーに入った数日後のことでした。クーデターを目指す反政府軍と当局の間で激しい未明の攻防戦となりました。この写真の中央に映っているDom Sovietが主戦場。わたしたちのチームが泊まっていたのはその隣にあったHotel Azerbaijanでした。わたしが起きた時にはすでに膠着状態に入っていた模様です。その後の国営TVの放送は治安の維持を呼び掛ける当局のアナウンスだけ。情勢が収まるまで数日かかりました。まだ携帯電話は普及していない時代でした。衛星電話のあるのは丘の上にあった別のホテルだけ。おそるおそる出かけてロンドンの本部と通信しました。道路を警備していた部隊の兵士に厳しい調子で「何処へ行くのか」と誰何されました。この時にわたしの働いていた組織の安全部に第一報を入れてくれたのは当時BBCの日本向けプログラムで放送翻訳の仕事をしていた家人でした。今となっては信じがたいような記憶です。
0 件のコメント:
コメントを投稿