各チームともサバイバルをめざして総動員体制で各チームメンバーの担当を再編成した。主力のシニアたちをより進んだ先進地域に割り当てると、まだビジネス環境の厳しいコーカサスが当時はまだ若手だった私のところに回ってきた。これが新人の私には神風となった。中規模以上の案件のプロジェクトリーダーになるというチャンスはめったにないからだ。1994年の年末にアゼルバイジャンの案件を調印に持込み、グルジアの案件でもサブリーダーを務めた。この2国で継続案件までまとめると、強面のエンジニアたちをまとめる調整手腕が認められて中央アジアもまかされるようになった。1997年の2月には、新たにキルギスの案件を引き継ぐために現地を訪れた。長いドライブの休憩で停車した時の1枚。

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