大理石は英語ではマーブルという。この石にもいろいろ種類がある。イタリアではカラーラという高級な大理石が産出される。1993年のことだが、英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)がまだ新しい国際機関だったEBRDを批判した時の記事でもこの高級大理石は「ムダ使いのシンボル」とされ、「マーブル・バンク」と揶揄する言葉が使われた。この新興国際機関の初代総裁はすべてに派手好みで、建物のあちこちに芸術品があった。一階のリフトのところの大理石の壁をイタリア大理石を特注して「ラフからスムースへの移行」というテーマで張り替えたことをFTが無駄使いの例として批判していた。旧ソ連の国々を支援する目的で作られた組織であり、設立されてから2年経ってはいたが、肝心な受益国のほとんどが政治体制が変わった後の大混乱の最中だったから、活動の結果をうんぬんするには時期尚早だった。批判する側としては都合の良いタイミングだった。
1993年と言えば、4月にロンドンの金融街シティーのど真ん中で爆弾テロがあった年でもある。その時に爆風で被害を受けた高層ビルの中で一番高いのがナットウエストタワーだった。21世紀になってからロンドンのスカイラインは大きく変わったので、今ではそれより高いビルがいくつも立ち並んでいる。テムズ川の南側から対岸を眺めてみるとよくわかる。FTがこの年の5月から7月まで3か月にわたり、せっかく赴任してきた新しい職場について徹底的な批判キャンペーンを張った時にはどうなることかと思った。日本の新聞も含めて世界中の新聞が連日のFT記事を後追いしていた。7月になって初代総裁の辞任が発表されると、大騒ぎは嘘のように静かになった。ほとんど知られていなかったその組織は「マーブル銀行」として、一躍世界中に知られるようになった。縁があったのか、その組織には23年勤務した。
1999年にロンドンを離れたのを振り出しに、いくつかの途上国勤務を経験した。最初に駐在したウズベキスタンで、一見豪華な大理石風の薄い石材を張った家が多かった。途上国勤務の楽しみは住環境がロンドンの数倍よくなることだと知った。ウズベキスタンは中央アジアの国だが、この辺り一帯はその昔はペルシャ帝国の一部だった時代もあるので、世界遺産として残る建物の様式はペルシャ風だし、サマルカンド周辺ではファルシと呼ばれるペルシャ語の方言を話す人たちが多い。問題は冬だ。寒いだけならいいが、つるつるした石の床の上に雪が降ると、いつ滑って転んで即死してもおかしくない状態になる。階段の中央部分は絨毯を固定してあるが、それでも危ない。途上国で新たに建設される家が大理石張りの立派なものであることが多いのには実は理由がある。どういう国にも貧しい人もいれば、商業やら何やらに成功してお金持ちの人もいる。お金が貯まった人たちには共通の悩みがある。そのお金をどう処分するかということだ。銀行に預けるのはリスクが多い。ある時新しい法律が出来て、罰金やら税金やらの形で当局に抑えられてしまうリスクがあるからだ。外国の銀行に預けるのが一番安全だが、額が大きくなるとお金を外国に持ち出すことは難しい。そういう時にちょっとした額のお金は高級車や高級家電に代えることになるし、大きな額だったら建物を作って外国企業の事務所や駐在員の家として貸すのが賢いやり方ということになる。内外の価格差が大きいこともあって、うまく外国人の借り手が付いた場合などは建設資金は数年で回収できる。こういう背景があるので、途上国では石材業はあまり目立たないが堅実な商売だ。
2004年の秋に赴任したのがマケドニアだった。この国の南部にあるプリレプという町はビアンコ・シヴェツと呼ばれる純白の大理石を産出することで知られている。マケドニアの首都スコピエに駐在していた時に融資先の大理石工場を訪れたことがある。その工場の主要な輸出先はアラブ諸国だった。ひんやりした大理石を地中海のお金持ちやアラブの王族が愛好するのは理解できる。夏の朝に裸足でバルコニーに出るのはひんやりして気持ちが良いものだ。その訪問は「わけあり案件」を専門に担当するチームのスペシャリストと一緒だった。そのお客さんの定期返済が滞りがちだったので、工場の実態を把握するのが目的だった。経営が破綻したりする前に、何か改善できることがあれば助言するのが、その特別案件担当チームの仕事だ。いざ破綻した場合の対応策を考えるためにも実態の把握は必要だ。こちらが訪問目的を説明すると、工場の社長は笑い飛ばしながら、この業界の特性について論じ始めた。彼によればアラブの王族相手の大理石商売というのは、どかんと大きな契約が入れば数年潤うほどの利益が出るものなので、それまではじっと耐えるだけだと胸を張っていた。自社が産出する石の品質にプライドを持っていた。ごもっともとは言え、それだけの説明では本部を納得させるのは難しい。話は平行線で出張者は苦い顔だった。
キルギス共和国でも石切り場を訪ねた思い出がある。トラヴェルティン(Travertine)というのはライムストーン(石灰岩)の一種で加工しやすく、磨くこともできるのに加えて、耐久性にも優れていることから古代ローマ以来世界各地で使われている。ローマの遺跡コロシアムもこの石でできているそうだ。アメリカのイエロー・ストーンもこの石でできている。磨くと光るので大理石と勘違いされることもあるが、よく見ると小さな穴が開いていて温かい感じがする。キルギス南部のジャララバードの採掘・製板工場に融資したので2008年の初夏に現地を見に行った。北部のビシュケクから南部への山越えは難路なので、朝一番のフライトで隣国のタシケントへ飛び、そこから車で向かった。フェルガナ渓谷に近いこの地域は国境線が複雑に入り組んでいる。見学と打ち合わせを終えて、帰ろうとするとお茶をどうぞと言われ別室に案内された。テーブルには料理が用意されている。そこから車でタシケントの空港まで3時間かかるし、飛行機の時間があるからと固辞したが、こういう場合は押し問答をしたうえで、例え30分でも1時間でも席につくのが地元の礼儀だ。それでいろいろ話を聞いた。この社長がユニークな人で、旧ソ連時代に様々な苦労を重ねたそうだ。キルギス共和国は2010年の政変の後、どこもかしこも大変だった。南部ジャララバードは政変で失脚した元大統領の出身地であり、混乱の影響をまともに受けた地域だ。この工場からも、返済スケジュール繰り延べの要請があった。ロンドンの本部もすぐに賛成してくれた。わたしは2011年にこの国を離れたので、この石材工場のことをすっかり忘れていた。最近になって思うところがあったので、様子を調べてみた。うまく2010年の危機後の混乱を乗り切り、今ではこの国を代表する中小地元企業の成功例として紹介されるまでになっていた。嬉しいニュースだった。小規模の地元ビジネスの支援に力を入れているこの組織もなかなかやるものだ。
1993年と言えば、4月にロンドンの金融街シティーのど真ん中で爆弾テロがあった年でもある。その時に爆風で被害を受けた高層ビルの中で一番高いのがナットウエストタワーだった。21世紀になってからロンドンのスカイラインは大きく変わったので、今ではそれより高いビルがいくつも立ち並んでいる。テムズ川の南側から対岸を眺めてみるとよくわかる。FTがこの年の5月から7月まで3か月にわたり、せっかく赴任してきた新しい職場について徹底的な批判キャンペーンを張った時にはどうなることかと思った。日本の新聞も含めて世界中の新聞が連日のFT記事を後追いしていた。7月になって初代総裁の辞任が発表されると、大騒ぎは嘘のように静かになった。ほとんど知られていなかったその組織は「マーブル銀行」として、一躍世界中に知られるようになった。縁があったのか、その組織には23年勤務した。
1999年にロンドンを離れたのを振り出しに、いくつかの途上国勤務を経験した。最初に駐在したウズベキスタンで、一見豪華な大理石風の薄い石材を張った家が多かった。途上国勤務の楽しみは住環境がロンドンの数倍よくなることだと知った。ウズベキスタンは中央アジアの国だが、この辺り一帯はその昔はペルシャ帝国の一部だった時代もあるので、世界遺産として残る建物の様式はペルシャ風だし、サマルカンド周辺ではファルシと呼ばれるペルシャ語の方言を話す人たちが多い。問題は冬だ。寒いだけならいいが、つるつるした石の床の上に雪が降ると、いつ滑って転んで即死してもおかしくない状態になる。階段の中央部分は絨毯を固定してあるが、それでも危ない。途上国で新たに建設される家が大理石張りの立派なものであることが多いのには実は理由がある。どういう国にも貧しい人もいれば、商業やら何やらに成功してお金持ちの人もいる。お金が貯まった人たちには共通の悩みがある。そのお金をどう処分するかということだ。銀行に預けるのはリスクが多い。ある時新しい法律が出来て、罰金やら税金やらの形で当局に抑えられてしまうリスクがあるからだ。外国の銀行に預けるのが一番安全だが、額が大きくなるとお金を外国に持ち出すことは難しい。そういう時にちょっとした額のお金は高級車や高級家電に代えることになるし、大きな額だったら建物を作って外国企業の事務所や駐在員の家として貸すのが賢いやり方ということになる。内外の価格差が大きいこともあって、うまく外国人の借り手が付いた場合などは建設資金は数年で回収できる。こういう背景があるので、途上国では石材業はあまり目立たないが堅実な商売だ。
2004年の秋に赴任したのがマケドニアだった。この国の南部にあるプリレプという町はビアンコ・シヴェツと呼ばれる純白の大理石を産出することで知られている。マケドニアの首都スコピエに駐在していた時に融資先の大理石工場を訪れたことがある。その工場の主要な輸出先はアラブ諸国だった。ひんやりした大理石を地中海のお金持ちやアラブの王族が愛好するのは理解できる。夏の朝に裸足でバルコニーに出るのはひんやりして気持ちが良いものだ。その訪問は「わけあり案件」を専門に担当するチームのスペシャリストと一緒だった。そのお客さんの定期返済が滞りがちだったので、工場の実態を把握するのが目的だった。経営が破綻したりする前に、何か改善できることがあれば助言するのが、その特別案件担当チームの仕事だ。いざ破綻した場合の対応策を考えるためにも実態の把握は必要だ。こちらが訪問目的を説明すると、工場の社長は笑い飛ばしながら、この業界の特性について論じ始めた。彼によればアラブの王族相手の大理石商売というのは、どかんと大きな契約が入れば数年潤うほどの利益が出るものなので、それまではじっと耐えるだけだと胸を張っていた。自社が産出する石の品質にプライドを持っていた。ごもっともとは言え、それだけの説明では本部を納得させるのは難しい。話は平行線で出張者は苦い顔だった。
キルギス共和国でも石切り場を訪ねた思い出がある。トラヴェルティン(Travertine)というのはライムストーン(石灰岩)の一種で加工しやすく、磨くこともできるのに加えて、耐久性にも優れていることから古代ローマ以来世界各地で使われている。ローマの遺跡コロシアムもこの石でできているそうだ。アメリカのイエロー・ストーンもこの石でできている。磨くと光るので大理石と勘違いされることもあるが、よく見ると小さな穴が開いていて温かい感じがする。キルギス南部のジャララバードの採掘・製板工場に融資したので2008年の初夏に現地を見に行った。北部のビシュケクから南部への山越えは難路なので、朝一番のフライトで隣国のタシケントへ飛び、そこから車で向かった。フェルガナ渓谷に近いこの地域は国境線が複雑に入り組んでいる。見学と打ち合わせを終えて、帰ろうとするとお茶をどうぞと言われ別室に案内された。テーブルには料理が用意されている。そこから車でタシケントの空港まで3時間かかるし、飛行機の時間があるからと固辞したが、こういう場合は押し問答をしたうえで、例え30分でも1時間でも席につくのが地元の礼儀だ。それでいろいろ話を聞いた。この社長がユニークな人で、旧ソ連時代に様々な苦労を重ねたそうだ。キルギス共和国は2010年の政変の後、どこもかしこも大変だった。南部ジャララバードは政変で失脚した元大統領の出身地であり、混乱の影響をまともに受けた地域だ。この工場からも、返済スケジュール繰り延べの要請があった。ロンドンの本部もすぐに賛成してくれた。わたしは2011年にこの国を離れたので、この石材工場のことをすっかり忘れていた。最近になって思うところがあったので、様子を調べてみた。うまく2010年の危機後の混乱を乗り切り、今ではこの国を代表する中小地元企業の成功例として紹介されるまでになっていた。嬉しいニュースだった。小規模の地元ビジネスの支援に力を入れているこの組織もなかなかやるものだ。
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