2016年2月11日木曜日

欧州復興開発銀行のモンゴル、トルコ、北アフリカおよび 中東への地域的拡大について 2011年11月

早稲田大学GSAP公開セミナー            2011 1110
イスラムとIT “In and Outside the Islamic World” シンポジウム

中沢賢治
欧州復興開発銀行 前ビシュケク、スコピエ、タシケント事務所長

要約:
2011年の「アラブの春」の後で、EBRDの地域的拡大を求める政治的な要請が強まった。EBRD加盟諸国は従来のEBRD地域の南に位置する北アフリカ、中東への活動拡大を検討している。EBRD地域の定義については今後確定される必要がある。現在のところエジプト、モロッコ、(以上加盟国)、チュニジア、ヨルダン(非加盟国)の活動拡大への準備が進められている。このようなEBRDの南部地域への進出は、近年活発に進められてきた東方地域への進出と相反するものではない。一部加盟国をEU加盟に導いた実績、中小企業支援における機動的な新戦略の確立、国際金融危機で示された危機対応力、EBRD地域内におけるイスラム諸国での活動経験が評価されたことが、北アフリカ・中東への活動拡大につながる要因となった。

始めに

EBRDは旧ソ連圏の経済復興支援のために1991年4月に設立された国際金融機関である。資本金は現在300億ユーロ。61の加盟国と欧州連合(EU)、欧州投資銀行(EIB)を加えた63の株主を持つ。本部はロンドンにあり、旧ソ連、中・東欧地域、モンゴル、トルコなど29か国で活動している。本部と現地事務所合計で1540人の職員が働いている。発足以来、投融資の総件数は3100件、総額620億ユーロを越える。近年では毎年80億ユーロを超える投融資を行い、旧ソ連圏では最大の金融機関である。EBRDは地元の民間企業を育成し、同地域への外資進出を支援する。民間投資の前提としての基幹インフラ整備や民営化など公的セクターでの支援も行う。民間セクター支援比率は6割を超えることが義務づけられている。この比率は90年代の終わり頃までは6割を下回ることが多く、未達成の理由と今後の見通しについて理事会承認が必要だった。現在のEBRDの業務は民間支援に集中しており、2010年実績では民間比率87%を達成している。

EBRDの投融資の決定に際しては、サウンド・バンキングの原則からみて優良案件であること、市場経済移行に向けての高い効果が期待できること、既存の諸機関と競合しないことについて厳しく審査が行われる。さらに個々の案件について環境への影響を評価し適切な対策をとることが承認の前提条件となる。

EBRDが活動対象国の政府に融資を行う場合、国家保証が必要となるが、この場合調達コストであるロンドン銀行間レート(LIBOR)に手数料として1%を上乗せしたものが利率となる。EBRDが民間企業に融資する場合にはLIBORにプロジェクトのリスクに応じたプレミアムを上乗せしたものが利率となる。したがって民間の投資銀行がためらうような投資環境の国々ではEBRDの利率は非常に魅力的であるが、他方で無償ないしそれに近い条件で活動する援助機関と比べれば割高感がある。EBRD は国際金融機関としては唯一の移行専門銀行であり、その活動を通じて以下のような市場経済移行に向けた改革の前進を図っている。

l  民間資本の拡大と自由競争による市場経済の拡大。
l  制度的および法的な枠組みの強化。
l  健全なコーポレート・ガバナンス。
l  産業セクターの構造改革。
l  適切な社会ならびに自然環境の保護。

北アフリカ・中東へのEBRD地域の拡大と今後の展望

2011年の春にアラブ諸国で民衆の蜂起が続くと以下のような形でEBRDの関与を求める声が強まった。

l  欧州諸国首脳理事会(the European Council of Heads of State)は3月25日の声明で、EBRDの活動地域の拡大を検討するよう要請。
l  オバマ米大統領は5月19日、EBRDが欧州地域で行った民主化移行と経済改革への支援を中東および北アフリカに対しても供与するよう要請。
l  EBRDは5月のアスタナ年次総会で満場一致でEBRD 活動地域拡大の可能性に関する決議を採択。
l  5月末にドーヴィルで開かれたG8首脳会議は「アラブ蜂起に関する決議」の中で、EBRDの「適切な地域的拡大」を要請。

アフリカ支援をリードするアフリカ開銀は、基幹インフラの整備や貧困対策を主活動としている。アフリカ地域における先進地域である北アフリカ、アラブ諸国の経済復興支援にあたっては、民間セクター支援において企業ガバナンスを重視するEBRDのビジネスモデルを適用する必要があり、この点でアフリカ開銀との重複はない。現在、EBRDのエジプト、モロッコ、チュニジア、ヨルダンなどへの支援に向けての準備作業が進められている。

EBRDの北アフリカ・中東地域への拡大に至る諸要因

要因1 EU加盟プロセスにおける支援の実績

EUはEBRDの発足以来の株主である。1991年の発足から90年代を通じてEBRDの活動は中・東欧地域が中心であり、EBRDはこれらの地域の国々のEU加盟準備銀行としての役割を果たした。1998年からいくつかの国々でEU加盟交渉が始まり、2004年から2007年までに10カ国がEU加盟を果たした。

l  19983月 チェコ、エストニア、ハンガリー、ポーランド、スロべニアのEU加盟交渉開始。
l  20002月 ブルガリア、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、スロバキアのEU加盟交渉開始。
l  20045月 チェコ、エストニア、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、ポーランド、スロバキア、スロべニアがEU加盟。
l  20071月 ブルガリア、ルーマニアがEU加盟。
l  200712月 チェコがEBRD活動対象国を卒業。
l  クロアチア、FYRマケドニア、アルバニア、トルコは現在EU加盟候補国。

今後もこれら新規EU加盟を達成した国々への支援継続が必要ならば、EU地域の開発銀行である欧州投資銀行(EIB)が行えばよいのではないか、その周辺国の支援についてはEIBEBRDを合併すれば重複が省けるという議論が飛び出すに至った。この段階で拡大ではなく、逆に縮小の方向ではあったがEBRDの活動対象地域の見直しの議論が初めて行われた。

要因2 中小企業支援における新戦略の確立

2004年に地元の中小企業を直接支援するための「早期移行段階国(ETC)イニシャティブ」がスタートし、「旧ソ連圏の東方地域でもっと弾力的な活動をし、EBRDの事業を東方へシフトさせる」という新戦略が始まった。これはEU加盟の後のEBRDの役割が論じられた結果に他ならない。ETCイニシャティブにより対象国においては、1)EBRDの最低取扱い額を通常の5-10 百万ユーロから50万ユーロまで引き下げる、2)財務諸表について国際会計基準による監査を要求する通常の条件を緩和する、3)ETC基金の創設によりETC案件の準備の一部を技術協力としてサポートするなどの弾力的な対応が可能となった。新しいETCの方針を最も歓迎し、活発化させたのがキルギス、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンなど中央アジアの国々だ。ETCイニシャティブの開始された頃にはEBRD全体の8%にすぎなかったETC関連業務は2010年には全体の30%を占めるまでになった。同年の114件の業務総額は828 百万ユーロに達した。

ETCイニシャティブを通じてEBRDの活動に対する好意的な再評価がなされると新たなETC活動対象国としてモンゴルが、2006年にEBRD地域拡大の第一号国となる。さらには2008年にトルコの対象国入りが続いた。しかしこの2ケースともユーラシア域内における地域拡大であった。また中央アジア・コーカサスを中心としたETCイニシャティブに引き続き、西バルカン地元企業ファシリティが2008年にスタートし、EBRDが後進地域で中小企業支援を行うにあたって機動的、弾力的な取扱いを行うことが欧州の後進地域でも始まった。

要因3 国際金融危機で発揮された危機対応力

2008年9月にリーマン・ショックに続いて、国際金融危機が発生すると、民間セクターとの強力な連携というEBRDの特殊性が再認識された。EBRDは発足以来の支援を通じて、西側の銀行と旧ソ連圏の中央銀行・地元銀行の双方に強いネットワークを持っている。 国際的な金融不安が起きると、EBRDが卒業し始めていた東欧地域も含めて、圧倒的な機動力をもって動揺する金融セクターへのテコ入れを行った。さらに手じまいを始めた西側の銀行に代わって旧ソ連地域の地場銀行、企業への融資を継続するという形でその存在感を示した。

20091月にはEBRDの世界金融危機対応パッケージ(20プロジェクト、800百万ユーロ) を打ち出した。第一四半期の投融資総額は11 億ユーロに急増した。9月には 2009年の投融資総額を対前年比52%増の800 百万ユーロ と見込むと発表。10月には EBRDEIB、世銀が金融危機対応のジョイント・IFIアクション・プラン(総額330億ユーロ)を発表した。翌201011月に EBRD移行報告を 発表すると「EBRD地域は危機から立ち直りつつあるが、危機以前のダイナミズムを回復するには新たな改革が不可欠」と改革継続の必要性を訴えた。

要因4 EBRD域内イスラム諸国における活動の実績 (中央アジア、アゼルバイジャン、トルコ他)

ケース1: イスラム諸国におけるマイクロ金融プログラム支援の経験

中央アジア、コーカサスのイスラム諸国は、世界のマイクロ金融の先進地域である。EBRDのマイクロ金融プログラムでの融資額の平均はおよそ3-4千ドルである。NGOなどが行うさらに小口なものもあるが、EBRDが支援しているのはマイクロ金融会社、さらにはマイクロ金融専門銀行として事業継続が可能であるものが対象となる。これらマイクロ金融の先進国に共通なのは、山間地が多く通常の商業銀行の支店を設置し、営業することが難しいことだ。これらの国々の商業銀行の総融資額がGDPに占める割合は10-15%であり、通常の銀行業務が未発達なのが特徴である。この比率はEBRD地域のより発展した国々では50%を越え、西側の先進各国では100%を越えている。山間の農村地や、都市部の青空市場で商売をする人たちの運転資金を調達を可能にするためにマイクロ金融が活躍している。キルギス共和国の場合には商業融資のおよそ3割をマイクロ金融が占めている。担保に替えてグループでの信用保証で融資が受けられるのも特徴の一つである。小口のマイクロ金融会社は、一般市民から預金を集めることが許されていないため、主として外国のマイクロ金融支援機関から外貨で借入を行い、その為替リスクをヘッジし、顧客の分散している地域で顧客訪問・モニタリングを行っている。これらによるコスト高をカバーするため、もっとも一般的な3か月程度の借り入れの利子は年利ベースで30%を越えてしまう。これではマイクロ金融を利用するのは短期の借り入れが中心にならざるを得ない。預金者保護のための適切な規制を整備した上での国内預金の取り入れ、為替リスクのヘッジ・コストの低減策、マイクロ金融各社の体質強化、農業金融システムとの連携、適切な競争の導入など政策的な課題は多い。

ケース2: 中央アジアのイスラム国 (キルギス共和国) における新民主主義政権支援の経験

2005年のチューリップ革命により政権を掌握したバキエフ大統領は、不安定な政権運営に苦心していたが、200712月の国会選挙の勝利に続き、20097月の大統領選挙で圧勝すると11月に入って行政府の大改造を行った。これにより権力の中枢を総理大臣の統括する内閣から新設の大統領府直轄機関である中央開発・投資・技術革新庁(CADII)に移し、次男のマキシムをその長官に任命した。「弱く貧しいキルギス」を中央集権化し、開発を推進するのが狙いとされた。長年の懸案でありながら進まなかったキルギス・テレコム、キルギス北配電など基幹産業の民営化が次々実施された。これらの新入札案件を落札したコンソーシアムを構成する地元キルギス企業のすべてがマキシム系であることがやがて明らかになった。以前から政府が圧力をかけてキルギス国内の優良企業の株を安くマキシム・グループに譲渡させるケースなどが囁かれていたが、政府高官を名指しで批判した外国報道によってバキエフ政権に対する人々の不信感は決定的なものとなった。47日の夜に暫定政権が成立すると社民党の党首オトンバエヴァ(60歳)は首班に指名された。駐英米大使、外相を歴任した南部オシュ出身のオトンバエヴァが、2010年3月8日、EBRDなど国際機関に対し、野党側国会議員団の筆頭として送った手紙にはバキエフ政権への要求事項として以下の三項目が盛り込まれていた。

  • 適正な手続きを経ずに恣意的に設立されたCADIIならびにKDFをはじめとする違法な国家機関を廃止すること。
  • 大統領の子息と兄弟を政府高官である地位から退任させ、ファミリー政府を排して民主主義国家を作るという2005年の公約を守ること。
  • 個人への権力集中の試みは国家を危機的な状況に追いやり、その果てには国家の崩壊の喪失につながることを理解すべきこと。

その後ロシアのプーチン首相に続いて、米のクリントン国務長官も電話で暫定政権の支援を表明したものの、新たに起草された新憲法による国民投票が6月に実施され、新憲法にもとづいて国会・大統領選挙が行われた10月までは、暫定政権は事実上の存在でしかない。この理由により国連、世銀など国際機関は暫定政権の事実上の統治権を認め支援を約束しながらも、正式な承認・加盟問題については国際世論の大勢が整うのを待つという姿勢を取った。こうして船出した新政権に対して、いち早く支援のレターを送ったのはEBRD総裁のトマス・ミロウだった。EBRD3月のオトンバエヴァのレターに返信する形で、民主政権の成立を祝福し、IMF、国連、世銀、アジア開銀などに対し国際社会による協調支援を呼びかけた。5月早々に隣国ウズベキスタンで開かれたアジア開銀総会の場で、国際機関合同のアセスメント・ミッションを5月末に派遣することが決定され、その後7月に開かれたキルギス支援拠出国会合が開かれるに至った。このようなEBRDの迅速な対応は、キルギス新政権に高く評価された。

ケース3: 中央アジアのイスラム国(トルクメニスタン、ウズベキスタン)における民主主義支援条項の適用の経験

EBRDはその設立合意書の第一条で「多党制民主主義と多元主義の原則を尊重し、適用する国々のみを支援する」という政治条項を持つ、唯一の開発金融機関である。同条項の適用により、ベラルース、トルクメニスタン、ウズベキスタンでは、EBRDは公的セクターに対する支援を行わず、民間事業のみを支援している。ウズベキスタンは中央アジアの中で基礎的インフラが最もしっかりしており、教育水準も高い。またチムール帝国の古都サマルカンド、ブハラ、ヒバなどの主だったシルクロード関連の観光資源が集中している。筆者が赴任した当時のウズベキスタンの経済運営に関する中心的なテーマは、IMF8条国(為替の自由化)への移行に関して「それぞれの国で個別の事情に適した漸進的な改革が必要だ」とするウズベキスタン側と、「経済の自由化が遅れれば、外資の導入が遅れ、民間産業の成長が停滞する」という国際社会のアドバイスが対立していたことだ。その後2001911日の同時多発テロ事件をきっかけにアフガニスタンをめぐり中央アジア情勢が緊張すると、隣接するウズベキスタンへの関心も強まった。こうした緊張と国際的な関心の高まりの中で、中央アジア初として注目された2003年のEBRDタシケント総会の準備がなされた。2002年に当時のルミエール総裁を含む数次のEBRDミッションに対して、ウズベキスタン側は「国際テロを目論むイスラム原理主義グループが仕事のない若年層の取り込みを図っているのは危険な事態である。これに対抗するためには中小企業の振興と経済発展が不可欠である」として国際社会からの支援の重要性を強調した。一方で、「人権問題に関する国連特別報告などに鑑みEBRD定款の第一条を適用すべき」としてタシケント総会を批判したNGOなどの主張がメディアに大きく取り上げられた。総会直前の4月にタシケントで爆破物が発見されるという事件が起き、開催地変更もやむなしとの議論があったが、EBRDは「タシケント総会は政策対話の継続のために必要である」という立場を貫いた。この時に提唱されたエンゲージメントの考え方はその後も継続されている。

結び
EBRDの南方である北アフリカ・アラブ諸国への地域拡大は、EBRDの新しい時代の到来を示すものだ。93年以来、職員数の増加を最小限にとどめてきたこの国際機関の組織をどう拡大させるかという議論にもつながる。EBRD事務局としては新たに現地通貨による融資プログラムを打ち出し、新設のイスタンブール事務所に東方支援の中核となるべきチームを置くなど、機動力をいっそう高めることで新しい事態に対応しようとしている。

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